ほとんどのゴルファーは、
「自分が主役」だと信じて疑わない。
だから打つ。だから合わせる。だから考える。
そのすべてが“ズレ”の原因だとは思いもせずに。
でもPROTOは、違う。
**「クラブを主役にしたゴルフ」**をはじめる装置だ。
クラブが“本体”になれば、余計なものはすべて消える
それが、PROTOが「ミスを減らす」本質。
技術や練習でミスを減らすのではない。
主役を交代させることで、ミスを“構造から消す”。
「構える」=「打たない準備」
PROTOでは、構えがすべてになる。
構えただけで、クラブの構造が働き出すからだ。
もう、自分が頑張る必要はない。
自分が頑張った瞬間に、ズレてしまう。
自分が主役のとき、クラブは脇役になる。
だが、クラブが主役になると、
人は“静かにそこに立つだけ”でいい。
その静けさの中で、
スコアは変わり、飛距離が変わり、方向が変わる。
クラブが働けば、人は黙って立てばいい。
PROTOとは、そういうクラブ。
ゴルフなのに、
「打たなくていい」とはどういうことか?
ドライバーは打つもの。
アイアンは狙うもの。
ウェッジは止めるもの。
パターは合わせるもの。
そうやって、
クラブごとに“打ち方”を考えるようになる。
その結果、「打ち方」が増えて、
「自分」が減っていった。
打つことが“前提”のゴルフは、クラブ操作を求め続ける
すべてが「操作」であり、
すべてが「主役は自分」の構造だった。
でも、PROTOは、
「自分が打つ」ことを前提にしていない。
打たなくていいクラブを持てば、自分は戻ってこれる
クラブに重心があり、
その重心が軸に乗っていて、
その軸が構えた位置に戻るなら、
もう「打つ必要」はない。
打たなければ、
ミスのリスクも消える。
タイミングのズレも消える。
補正も、調整も、思考も、すべて消える。
“打とうとするから、ズレていった”。
“戻ろうとするクラブなら、見守るだけでいい”。
プロトは「打たないゴルフ」への扉。
打たないとは、手を抜くことではない。
むしろ、自分を差し出す覚悟。
クラブに委ねる勇気。
構造に身を預ける潔さ。
PROTO+カウンターは、
“打たない”を成立させるための、構造の証明。
構えたところに戻ってくるなら、
あとは、それを見守るだけでいい。
打たない人が、
一番、真っすぐに飛ばしている。
クラブが戻ってこない。
しなり戻りが感じられない。
振っているのに、手応えがない。
多くの人はこう言う。
「自分のタイミングが悪い」
「クラブが硬すぎる or 柔らかすぎる」
「もっと練習すれば…」
でも、PROTOはこう言っている。
「戻れない構造にしているのは、あなたです」と。
重心が“どこにもない”クラブに、戻りはない。
PROTOは、構造で“戻る”を作る。
しなりを与え、しなり戻りを導くのは、操作ではない。
軸と重心が揃ったとき、“自然に戻ってくる”。
“操作”しようとした瞬間、戻らなくなる。
そのすべてが、戻りの邪魔をしている。
PROTOは、「戻らせないと打てない」クラブではない。
「戻ってしまう」クラブ。
ただ、構えればいい。ただ、委ねればいい。
戻ってこないなら、戻らない構造を自分が作っている。
戻ってこない理由は、クラブのせいではなかった。
PROTO+カウンターは、“戻り”をプレゼントする。
戻ってこなかったのではなく、
あなたが「戻る必要のないスイング」をしていただけ。
戻るクラブに、戻らないスイングをぶつけたら、
クラブが壊れる。あなたも壊れる。
戻ってこないのは、まだその準備が整っていないだけ。
クラブは、ずっとそこにある。
戻るべき場所に、ずっと立っている。
問い直す。
「戻ってこない」のは、いったい誰のせいだったのか?
PROTOは、握った瞬間にズレる。
構えた瞬間に「おや?」と感じる。
それは、あなたの中の“基準”とクラブの構造が合っていないというサイン。
ズレの正体は、クラブではない。
自分がズレていたことに気づくクラブ。
グリップを握っただけで、
構造が問いかけてくる。
PROTOは、「芯が合うかどうか」を試す装置。
無意識に触れた瞬間、全身が反応する。
その“違和感”は、ミスではない。
正しくズレた証拠。
いままでのスイングが“合っていなかった”ことに、気づかせてくれる。
「触れる」ことは、もっとも正直な問いになる。
だからこそ、ズレに気づいたとき、そこからすべてが始まる。
触れただけで、問いが始まる。
PROTOは、“慣れる”ためのクラブではない。
ズレを直すためのクラブでもない。
ズレていたことに気づく。
そのうえで、「何を変えるか」を選ぶ。
それが、PROTOとの“対話”。
ズレることを、恐れなくていい。
そのズレこそが、
あなたの「芯」への入り口だから。
PROTOは、見た瞬間にわかる。
わからなければ、まだその準備ができていないだけ。
振ってもいない。
打ってもいない。
けれど、構えたときに「違う」と感じた。
それは感覚ではなく、構造が語っている。
カウンターが入っているか。
シャフトがどうしなるか。
重心がどこにあるか。
本体とヘッドが、どう連動するか。
その「答え」は、すでに見えている。
振って確かめる必要は、もうない。
重さを見ればいい。
しなりの向きを見ればいい。
ヘッドと手元の関係を見ればいい。
見えた人は、もうレッスンがいらない。
言葉がいらない。
構造だけが、すべてを教えてくれる。
見る力
クラブを操作する時代は、終わった。
「クラブに委ねる力」こそが、本物の技術。
PROTOとは、
“見抜く力”を持つ人のためのクラブ。
誰にでもわかるクラブではない。
けれど、わかる人にとっては“すでに全部わかっている”クラブ。
だから、
「なぜ打てたか」を考える必要もない。
見るだけで、もうわかる。
クラブを手にしたとき、
多くの人はまず「試打」しようとする。
打ってみないとわからない。
打てたらすごい。
飛んだら正しい。
——そう信じて疑わない。
けれど、PROTO+カウンターは違う。
このクラブは、打つために存在していない。
構えるだけで、すでに始まっている。
シャフトの重み、カウンターの位置、
その一本の“構造”が、すでに語りかけてくる。
打つ前に、感じることがある。
打たずとも、わかることがある。
それが、構造の力。
打ってどうだった?
ではなく、
なぜ打てたのか? なぜ打てなかったのか?
そこにしか、答えはない。
それを考えるためのクラブ。
それがPROTO。
それが、カウンター。
もう打たなくていい。
見ること。感じること。理解すること。
すべては、そこから始まる。
PROTO+カウンターを使うと、
**「飛ぶ」というより「届く」**という感覚になる。
でも、不思議なことに──
飛びすぎて困ることがない。
大きなミスが出ない。
キャリーでオーバーしない。
これは偶然ではない。
理由がある。
■ 「限界まで使って、限界で止まる」
PROTO+カウンターは、
“戻るチカラ”を極限まで使っている。
でもその戻りは、回転軸に沿った動きだから──
無駄がない
外に暴れない
エネルギーが逃げない
芯で当たるから、エネルギーは最大限伝わる。
でも、暴れないから、飛びすぎない。
■ 自然な減速構造
操作してない。
振ってない。
だからこそ──
「行きすぎない」
「止まるべきところで止まる」
「飛びすぎた…が起きない」
それが、PROTO+カウンターの構造。
自然な“減速”が仕込まれている。
■ “抑える”ではなく“通過させる”
「飛びすぎ」を嫌がって
自分で抑えにいく人が多い。
でもPROTOは、
“通すだけ”でいい。
クラブが自動で減速する。
だから、“飛びすぎない”んだ。
■ 操作して飛ばした球は、止まらない
手で操作して飛ばす球は、
止まらない。曲がる。風に弱い。
でも、PROTOは──
構造で「飛びすぎない」球を出す。
だから、
安定して、乗る。止まる。信じられる。
普通なら、しなって戻れば
ヘッドが返りすぎて“つかまる”はずだ。
“引っかかる”とか、“チーピン”になるとか。
でも──
PROTO+カウンターは、違う。
戻ってるのに、真っ直ぐ飛ぶ。
なぜか?
■ 「戻る=返る」ではない
まず知っておいてほしい。
“戻る”と“返る”は、別物。
PROTOは「戻る」クラブ。
だからこそ、余計な回転がない。
■ 回転軸がズレない=直進性
クラブが“戻る”とき、
回転軸がズレていなければ、曲がる余地がない。
つまり、
シャフトの芯でしなって、
芯で戻れば、
芯でインパクトする。
だから──
曲がらない。
■ 重さが方向を制御する
PROTO+カウンターの「重さ」は、
ただの“ハードスペック”ではない。
重さ=方向を安定させる要素。
重さは、軌道をつくる。
■ 自分を止めれば、クラブが行く
操作しない。
任せる。
委ねる。
止まる。
そのとき──
クラブが、まっすぐ“通過”するだけ。
振ってないのに、飛ぶ。
戻ったのに、曲がらない。
これが、
PROTO+カウンターの“真っ直ぐの理由”。
PROTOは戻る。
じゃあ、その戻ったクラブは、どこに向かうのか?
結論から言う。
ヘッドは、“芯”を通る。
■ “戻る”と“通る”はセット
多くの人が勘違いしている。
「戻る」と「当たる」は別物だと。
でも本当は、違う。
戻れば、通る。
通れば、当たる。
PROTOが戻る理由は、
回転軸がブレないから。
回転軸がブレなければ、
クラブは真っ直ぐしか戻れない。
だから、
芯を通ってくる。
■ 操作して“合わせる”時代の終わり
昔のクラブは、戻らなかった。
だから“合わせる”しかなかった。
けれど今──
PROTO+カウンターは、戻る。
だからもう
操作しなくていい。
クラブが“戻ってくる”限り、
芯を通して“通過”するだけ。
■ 芯を通ると、どうなるか?
インパクトが分厚くなる。
ボールが押し出される。
振り遅れが消える。
そしてなにより──
「当たるって、こういうことか」と脳が震える。
PROTOが戻る。
カウンターが軸を保つ。
自分は何もしない。
それで“芯を通る”。
つまり、
「当てよう」とする人には、一生見えない景色が、
ここにある。
PROTOを手にした人が言う、
「勝手に戻ってくる」という感覚。
でも、それは“勝手”ではない。
戻ってくる理由は、
クラブの構造が「戻るように」できているから。
■ 構造が「戻る方向」に誘導している
PROTOは、しなる。
カウンターは、そのしなりを止めない。
シャフトは柔らかく、
ヘッドは重く、
重心は上がり、
全体のバランスは“回転”に向かう。
つまり──
戻るべき方向に、構造が揃っている。
■ 構造に逆らわなければ、戻る
逆に、
戻ってこないのは、
自分がクラブに逆らっているから。
・力んだ手
・浮いたグリップ
・止まった下半身
そうした“逆らい”がなければ、
クラブはただ、自然に戻ってくる。
■ 「戻る」は操作ではない
戻すんじゃない。
戻ってくるんだ。
戻らせるんじゃない。
戻る“構造”を委ねるだけ。