おしらせ

📘 第36章: 「PROTOを握ると、手が動かなくなる。」

これは、実際にPROTOユーザーから寄せられた言葉だ。

「…なんだこれ?手が出せない」

「クラブが動かせない」

「止まって見える」

そう、PROTOは“動かさない感覚”を、

“動かすことが当たり前”だった人に

初めて教えてくれるクラブ。

これは欠点ではない。

最初に出会う、“構造との共鳴”。

カウンターを入れたその瞬間、

手元の反応は止まる。

クラブは主張しない。

でも、芯だけは動いている。

この感覚に出会った人だけが気づく。

「ああ、いままで自分が邪魔してたんだ」と。

PROTOは、自分の“主張”を消す。

“俺が打つ”を、“クラブが動く”へ。

それができたとき──

振り子になる。

芯に戻る。

再現される。

打てなかった人は、悪くない。

邪魔をやめる準備が、まだ整っていなかっただけ。

PROTOは急がせない。

クラブではなく、“あなたの準備”に合わせて動く。

そのとき、はじめて“動かさない”という真実に出会える。

そして気づく。

「打っているつもりだったけど、

本当はずっと、クラブに邪魔してたんだ」と。

📘 第35章:「打たなくていい」の意味

PROTOを試した人のなかには、

「これは自分にはまだ早い」

「ちょっと異次元すぎる」

そう言って、去っていく人もいる。

でも──それでいい。

PROTOは、「無理に打たせるクラブ」ではない。

むしろ、「打たなくて済むようになるクラブ」だ。

打ちたがる気持ちは、

自分で“なんとかしたい”という意志の表れ。

でもPROTOは、自分が何かしようとするとミスになる。

なにもしない。

ただ“軸”だけを動かす。

重さに委ねる。

それが、PROTOと向き合うということ。

つまり、PROTOとは

「クラブを操作しない世界を知るための装置」。

だから、打ちたがっているうちは、

本当の意味では出会っていない。

クラブを止め、構造を観察し、

じっくりと“委ねる準備”を整えた人だけが、

PROTOの意味を感じられる。

PROTOは、レッスンいらずのクラブ。

それは、使いこなすための技術がいらないという意味ではない。

必要なのは、自分の芯と構造を合わせる準備。

そして、打ちたいという衝動を手放す覚悟。

だからこそ言える。

「打たなくていい」とは、拒絶ではなく

**“ようこそ、準備が整ったらまた来てね”**というメッセージ。

📘 第34章:「ズレてた」の正体

PROTOを使い始めたユーザーが

よく口にする言葉がある。

「今までのクラブ、全部ズレてた…」

打点のズレ?

インパクトのタイミング?

フェースの向き?

いや、“本体”と“クラブ”のズレだ。

手で戻すクラブは、

「ズレた状態を操作して整える道具」。

PROTOは、

「ズレない構造だから整える必要がない道具」。

つまり、ズレる前提か、ズレない前提か。

クラブの思想がまるで違う。

いままでは、

ズレることが当たり前だったから、

レッスンで“ズレの補正方法”ばかり学んできた。

でもPROTOは、

「ズレの構造を排除したクラブ」。

その結果、

操作しない方が当たるし、

自分が動けば動くほどミスになる。

だから最初は戸惑う。

自分がズレていたことに気づくから。

でも、そこからが本当のゴルフ。

ズレてないクラブと、自分を一致させていく旅が始まる。

PROTOは、「ズレにくい構造」であると同時に、

「ズレを気づかせる装置」でもある。

それに気づいた瞬間、

多くのユーザーが、自分のゴルフを見直し始めている。

📘 第33章:「芯」でしか戻らない構造へ

PROTOクラブは、「自分で戻す」のではなく、

“クラブが戻る”ことを前提に作られている。

つまり、

“芯で戻る構造”を持っているかどうかが、

PROTOを扱えるかの分かれ道になる。

クラブの芯(回転軸)、

身体の芯(軸)、

その両方が「ズレなく繋がる」ことで

PROTOは“勝手に”戻る。

これは、感覚ではない。

構造としてそうなっている。

手を使わずに戻る?

しなりが勝手に戻る?

本当にそんなことがあるのか?

実際にPROTO+カウンターで構えてみれば、

その違和感のなさに、誰もが戸惑う。

逆に、普通のクラブで感じていた違和感が浮き彫りになる。

PROTOは、「芯でしか戻らない」クラブ。

芯を外せば、戻らない。

芯を通せば、勝手に戻る。

ただ、それだけ。

だから、操作はいらない。

だから、戻す動作もいらない。

手で戻す必要があるうちは、

まだ芯に届いていないのかもしれない。

📘 第32章:なぜ、PROTOは「打たない」クラブなのか

打つから、手が出る。

打とうとするから、ズレる。

PROTOのクラブ設計は、

「打つ」動作を前提にしていない。

しなり → 溜め → 戻り

この一連の“構造的運動”によって、

「勝手にインパクトが来る」ように作られている。

だから、手で“打ちにいく”と、

かえってクラブの動きとぶつかる。

✅ 打たないことで、芯で当たる

✅ 打たないから、力まない

✅ 打たないから、同じ動きが繰り返せる

打つという行為そのものが、

クラブの構造に逆らう行為になっている。

PROTO+カウンターは、

「打たなくても届く距離」と「打たない方が合うリズム」を

クラブ自身が持っている。

打たないことが、

“武器になる”設計。

📘 第31章:回転軸は、クラブの中にある

スイング軸を自分の中に作ろうとすると、

かえってブレる。

なぜなら、軸は「作るもの」ではなく、

見つけて委ねるものだから。

PROTO+カウンターは、

クラブそのものに軸がある設計になっている。

  • シャフトがしなり
  • カウンターが支え
  • 重心が移動し
  • 回転が“勝手に”起こる

この流れを邪魔せず、ただ「受け入れる」だけで、

身体は自然に連動し始める。

自分が軸になるのではない

クラブに軸を“預ける”ことが、

本当の「芯」との一致を生む。

軸を“感じる”のではなく、クラブが“芯で戻る”状態にする。

その状態が再現されるから、安定する。

PROTOは「あなたの回転軸を作る道具」ではない。

**「軸を持っているクラブ」**だ。

だから、自分の中心に意識を置く必要がなくなる。

クラブを信じ、クラブに乗せるだけ。

回転の起点は、あなたではない。

クラブの中に、すでにある。

📘 第30章:操作しない勇気

PROTOを使っていくと、

必ずぶつかる“壁”がある。

「操作しないと不安」

「手を使わないと当たらない気がする」

「構えただけじゃ、打てる気がしない」

それは、今までのゴルフが

**“自分でなんとかするスポーツ”**だったから。

でもPROTOは、違う。

**「クラブに任せるスポーツ」**に変えてしまう。

手放すことで得られるもの

  • 再現性
  • 安定したタイミング
  • 身体の回転と一致する感覚
  • “当たり前に”戻ってくるヘッド

けれど、それを得るには

「操作しない」ことを信じ抜く勇気が必要だ。

PROTOは、クラブが主役になる。

主役がいるのに、脇役が出しゃばってはならない。

最初は、怖い。

でも、その先にしか、

いままで届かなかった景色が待っている。

操作しないからこそ、狙える。

操作しないからこそ、続く。

PROTOは、それを証明するクラブだ。

📘 第29章:クラブに主役を渡せば、ミスは消える

ほとんどのゴルファーは、

「自分が主役」だと信じて疑わない。

だから打つ。だから合わせる。だから考える。

そのすべてが“ズレ”の原因だとは思いもせずに。

でもPROTOは、違う。

**「クラブを主役にしたゴルフ」**をはじめる装置だ。

クラブが“本体”になれば、余計なものはすべて消える

  • 構えたら、戻ってくる
  • タイミングを取らなくても合う
  • 「自分の感覚」で合わせる必要がない

それが、PROTOが「ミスを減らす」本質。

技術や練習でミスを減らすのではない。

主役を交代させることで、ミスを“構造から消す”。

「構える」=「打たない準備」

PROTOでは、構えがすべてになる。

構えただけで、クラブの構造が働き出すからだ。

もう、自分が頑張る必要はない。

自分が頑張った瞬間に、ズレてしまう。

自分が主役のとき、クラブは脇役になる。

だが、クラブが主役になると、

人は“静かにそこに立つだけ”でいい。

その静けさの中で、

スコアは変わり、飛距離が変わり、方向が変わる。

クラブが働けば、人は黙って立てばいい。

PROTOとは、そういうクラブ。

📘 第28章:「打たない」という選択肢

ゴルフなのに、

「打たなくていい」とはどういうことか?

ドライバーは打つもの。

アイアンは狙うもの。

ウェッジは止めるもの。

パターは合わせるもの。

そうやって、

クラブごとに“打ち方”を考えるようになる。

その結果、「打ち方」が増えて、

「自分」が減っていった。

打つことが“前提”のゴルフは、クラブ操作を求め続ける

  • タイミングを合わせ
  • フェースの向きを揃え
  • 弾道を想像し
  • ミスを想定して補正する

すべてが「操作」であり、

すべてが「主役は自分」の構造だった。

でも、PROTOは、

「自分が打つ」ことを前提にしていない。

打たなくていいクラブを持てば、自分は戻ってこれる

クラブに重心があり、

その重心が軸に乗っていて、

その軸が構えた位置に戻るなら、

もう「打つ必要」はない。

打たなければ、

ミスのリスクも消える。

タイミングのズレも消える。

補正も、調整も、思考も、すべて消える。

“打とうとするから、ズレていった”。

“戻ろうとするクラブなら、見守るだけでいい”。

プロトは「打たないゴルフ」への扉。

打たないとは、手を抜くことではない。

むしろ、自分を差し出す覚悟。

クラブに委ねる勇気。

構造に身を預ける潔さ。

PROTO+カウンターは、

“打たない”を成立させるための、構造の証明。

構えたところに戻ってくるなら、

あとは、それを見守るだけでいい。

打たない人が、

一番、真っすぐに飛ばしている。

📘 第27章:「戻ってこない」のは誰のせいか?

クラブが戻ってこない。

しなり戻りが感じられない。

振っているのに、手応えがない。

多くの人はこう言う。

「自分のタイミングが悪い」

「クラブが硬すぎる or 柔らかすぎる」

「もっと練習すれば…」

でも、PROTOはこう言っている。

「戻れない構造にしているのは、あなたです」と。

重心が“どこにもない”クラブに、戻りはない。

  • ヘッドにしか重心がなければ、クラブは戻ってこない。
  • 手元にしか重心がなければ、クラブは暴れる。
  • 重心が芯を貫いていなければ、「戻り」は反応しない。

PROTOは、構造で“戻る”を作る。

しなりを与え、しなり戻りを導くのは、操作ではない。

軸と重心が揃ったとき、“自然に戻ってくる”。

“操作”しようとした瞬間、戻らなくなる。

  • タイミングを合わせようとする
  • 手元でコントロールしようとする
  • ヘッドを感じようとする

そのすべてが、戻りの邪魔をしている。

PROTOは、「戻らせないと打てない」クラブではない。

「戻ってしまう」クラブ。

ただ、構えればいい。ただ、委ねればいい。

戻ってこないなら、戻らない構造を自分が作っている。

戻ってこない理由は、クラブのせいではなかった。

PROTO+カウンターは、“戻り”をプレゼントする。

戻ってこなかったのではなく、

あなたが「戻る必要のないスイング」をしていただけ。

戻るクラブに、戻らないスイングをぶつけたら、

クラブが壊れる。あなたも壊れる。

戻ってこないのは、まだその準備が整っていないだけ。

クラブは、ずっとそこにある。

戻るべき場所に、ずっと立っている。

問い直す。

「戻ってこない」のは、いったい誰のせいだったのか?

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