打ちにいかない。
操作しない。
振ろうとしない。
PROTO+カウンターのクラブは、
それができないと、機能しない。
軽いクラブなら、
手で合わせて、なんとなく打つこともできる。
でも、PROTOは動かせない。
カウンターが100g入っていれば、なおさらだ。
だからこそ、
“自分”をやめなければ打てない。
手を止めて、
重さに委ねるしかない。
すると──
しなる。
戻る。
芯に集まる。
「自分が打った」わけではない。
クラブが、勝手に戻っただけ。
本体が、回っただけ。
それでも、当たっている。
まっすぐ飛んでいる。
ミスにならない。
これが、「委ねるという技術」だった。
技術とは、
“うまく操作すること”じゃなかった。
“操作しないための理解”と
“委ねるための構造”が、
再現性という形で答えをくれる。
技術とは──
クラブを信じること。
構造に従うこと。
余計なことをしない強さを持つこと。
PROTOは、それを教えてくれる。
重さは、委ねるためにある。
しなりは、戻るためにある。
そして、
あなたは手放した分だけ、整っていく。
▽ 前回(第1章):操作しないという技術
次回(第3章):なぜ、委ねられないのか?