PROTOを試した人のなかには、
「これは自分にはまだ早い」
「ちょっと異次元すぎる」
そう言って、去っていく人もいる。
でも──それでいい。
PROTOは、「無理に打たせるクラブ」ではない。
むしろ、「打たなくて済むようになるクラブ」だ。
打ちたがる気持ちは、
自分で“なんとかしたい”という意志の表れ。
でもPROTOは、自分が何かしようとするとミスになる。
なにもしない。
ただ“軸”だけを動かす。
重さに委ねる。
それが、PROTOと向き合うということ。
つまり、PROTOとは
「クラブを操作しない世界を知るための装置」。
だから、打ちたがっているうちは、
本当の意味では出会っていない。
クラブを止め、構造を観察し、
じっくりと“委ねる準備”を整えた人だけが、
PROTOの意味を感じられる。
PROTOは、レッスンいらずのクラブ。
それは、使いこなすための技術がいらないという意味ではない。
必要なのは、自分の芯と構造を合わせる準備。
そして、打ちたいという衝動を手放す覚悟。
だからこそ言える。
「打たなくていい」とは、拒絶ではなく
**“ようこそ、準備が整ったらまた来てね”**というメッセージ。