📘 第35章:「打たなくていい」の意味

PROTOを試した人のなかには、

「これは自分にはまだ早い」

「ちょっと異次元すぎる」

そう言って、去っていく人もいる。

でも──それでいい。

PROTOは、「無理に打たせるクラブ」ではない。

むしろ、「打たなくて済むようになるクラブ」だ。

打ちたがる気持ちは、

自分で“なんとかしたい”という意志の表れ。

でもPROTOは、自分が何かしようとするとミスになる。

なにもしない。

ただ“軸”だけを動かす。

重さに委ねる。

それが、PROTOと向き合うということ。

つまり、PROTOとは

「クラブを操作しない世界を知るための装置」。

だから、打ちたがっているうちは、

本当の意味では出会っていない。

クラブを止め、構造を観察し、

じっくりと“委ねる準備”を整えた人だけが、

PROTOの意味を感じられる。

PROTOは、レッスンいらずのクラブ。

それは、使いこなすための技術がいらないという意味ではない。

必要なのは、自分の芯と構造を合わせる準備。

そして、打ちたいという衝動を手放す覚悟。

だからこそ言える。

「打たなくていい」とは、拒絶ではなく

**“ようこそ、準備が整ったらまた来てね”**というメッセージ。


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