もし、PROTOが
ただのクラブだったら──
ここまで、
自分の中が動くことはなかったと思う。
PROTOが、
ただのパーツだったら──
この旅は、
もう終わっていたかもしれない。
でも、PROTOは違った。
俺はPROTOを「育てて」きた。
そしてPROTOに「育てられて」きた。
重さを受け入れたとき、
何かを手放すことを覚えた。
鉛を貼ったとき、
自分の“芯”と向き合い始めた。
PROTOはクラブだけど、
自分を映す、鏡でもある。
使えば使うほど、
自分が現れる。
重さも、しなりも、戻りも、
全部、自分と繋がっていく。
PROTOは、
自分と向き合うために生まれてきたクラブ。
俺は、そう思ってる。